浦和地方裁判所 昭和55年(ワ)60号 判決 1982年5月17日
原告 白土正博
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 伊東秀郎
同 伊東孝彦
被告 大野実
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 山本眞養
主文
被告らは各自、原告白土正博に対し金一五三万円及びこれに対する昭和五四年五月二七日から右完済まで年五分の割合による金員を、原告白土直子に対し金一四七万円及びこれに対する昭和五四年五月二七日から右完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
この判決の第一項は仮りに執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、原告白土正博に対し一七七〇万八〇二円及びこれに対する昭和五四年五月二七日から右完済まで年五分の割合による金員を、原告白土直子に対し、一六六三万一五七〇円及びこれに対する右同日から右完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (屋根板踏破による転落死なる事故の発生) 昭和五四年五月二七日午後四時三五分頃、原告らの長男白土敦(当時一一才、小学六年生)は、被告大野実の次男大野貴資(当時中学一年生)と共に、被告大野が経営する被告会社の工場建物の屋根にのぼって遊んでいたところ、突然右屋根のスレート板(別紙図面中、D点)が破れたため、約五・九m下の床に転落して頭部を強打し、よって同日午後八時五三分、脳挫傷により死亡した(以下「本件転落事故」という。)。
2 (事故に至る経緯) 本件工場建物等の配置は、概ね別紙見取図のとおりであるところ、亡敦及び大野貴資は、同図面中、点線表示のとおり、(ヘ)の二階建事務所の二階への昇階段の立子が三本切れている所、A点から、(イ)物置のトタン屋根、B点に飛び移り、そこから(ロ)建物のトタン屋根、(ハ)工場建物のスレート屋根を経、同建物と(ニ)工場建物との間にある樋、C点を伝って、(ニ)工場建物のスレート屋根にのぼり、D点で転落したものである(以上の各建物のほか、同見取図に記載した各建物については、以下「(ヘ)建物」、「(イ)建物」等といい、(イ)建物ないし(ヘ)建物を総称するときは、「本件建物群」という。)。
3 (建物の建築時期、屋根の構造、強度等) 本件工場は昭和四二年一〇月一日、建築されて以来、屋根の葺き替えをしていなかったもので、本件事故当時はかなり脆くなっていたものであり、亡敦が転落した(ニ)建物の屋根は、約八〇m2の面積があり、その傾斜度は約一五度で、地上から屋根までの最高部位では六mを超えていた。
4 (本件建物群の所有、占有関係) 本件建物群は被告大野が所有し、被告会社は、(ヘ)建物を本店事務所とし、その余の本件建物群において、軽合金の鋳造及び機械加工をなして使用し、もって本件建物群を占有するものである。
なお、本件建物群の敷地である土地は、被告大野の所有に属する。
5 (被告大野の責任) 被告大野は、本件転落事故発生のかなり以前から、本件工場群の屋根の上で自己の子である長男及び前記次男貴資と近所の子供が遊んでいることを知っており、かつ、本件工場群の屋根がスレート葺であって元来強固なものではなく、建築以来その葺き替えもしていないので、本件転落事故発生当時にはかなり脆くなっていたことを知っており、従って工場群の屋根の上で子供らが遊ぶことは極めて危険であることを認識し、もしくは認識すべきであり、子供らが本件工場の屋根に上れないような措置(この措置の具体的一例としては、本件転落事故発生後なされた前記立子の修理及び(イ)建物の屋根の南縁に防護棚を設ける等)を容易に採れる立場にあった(仮りに被告会社が本件工場群の所有者であったとしても、被告大野はその代表者であるから右の如き措置が容易に採れた)のであるから、右の如き防止措置をなし、もって本件のような屋根からの転落死の如き事故の発生を未然に防止すべき注意義務(以下「本件防止措置義務」という。)があるのに、これを怠り、単に自己の子に対し口頭で「屋根に上るな」と警告、制止したにすぎず、右防止措置を採らなかった過失により本件事故を発生させたものである(民法七〇九条)。
6 (被告会社の責任) 被告会社は、その代表取締役が被告大野であり、同人の妻が取締役であるところ、被告会社の役員である被告大野夫妻は、別紙見取図記載の(ト)建物に住み、子供達が平常しばしば(ヘ)建物から本件工場群の屋根に上って遊んでいるのを知っているのに、子供達が本件工場群の屋根に上らないような設備を施さず、よって本件土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があったため、本件転落事故が発生したのであるから、その工作物の占有者として損害賠償責任がある(民法七一七条一項)。
7 (損害)
(1) 亡敦の死亡による逸失利益 一八八六万三一四〇円
亡敦は本件転落事故発生当時、一一才の健康な小学生であったところ、本件事故がなければ、中学を経て高校に進み、これを卒業して就職し、六七才に至るまでの間(現価係数一八・六九八五から五・七八六三を控除した一二・九一二二)につき年間収入二九二万一八〇〇円(昭和五三年度労働省統計情報部・賃金センサス第一巻統計表第一表中、旧中・高卒の男子労働者に対するきまって支給する現金給与月額一八万九三〇〇円、年間賞与その他特別給与額六五万二〇〇円による)から生活費としてその二分の一を控除した純収入から年ごとに五分の割合による中間利息を控除したものの本件転落事故発生時における現価である頭書金額の得べかりし稼働収入を失った。
(2) 亡敦の慰謝料 四〇〇万円
亡敦は、理科、数学が特意で、器械体操部に所属し、心の優しい子で、遊び友達の少い貴資を自宅に伴って共に遊ぶこともあったことその他の諸事情がある。
(3) 原告らは亡敦の両親として、亡敦の死亡により右(1)(2)の損害賠償債権を各二分の一あて相続により取得した。
(4) 原告らの慰謝料 各四〇〇万円
原告正博は会社員で、その家族構成は、原告ら夫婦と長男亡敦、長女悦子(当時八才)の四人であった。ささやかながら幸福なこの家庭から原告らが将来の成長を楽しみにしていた亡敦を奪われた原告ら両親の悲しみは甚大であるのに、被告らは何らの慰謝の気持も表わさないで現在に至っているもので、原告らは悲しみと怒りの気持で一杯である。
右原告らの心情と本件転落事故の諸事情とを併考するとその精神的苦痛の慰謝料としては頭書金額が相当である。
(5) 葬祭関係費 一一三万九二三二円
原告正博は、(イ)死亡処置料五万九九八七円、(ロ)葬儀諸費用六七万五〇五〇円、(ハ)弔問客・僧侶に対する接待費二〇万四一九五円、墓碑(地蔵)購入費二〇万円を出捐した。
(6) 弁護士費用 各一二〇万円
原告らは本件訴訟を原告ら代理人弁護士に委任し、着手金として四〇万円の内金二〇万円を支払い、成功報酬として判決又は和解によって原告らが受領する金員の一二%相当額額を支払うことを約したが、これらのうち本件転落事故による賠償損害額は原告らにつき各一二〇万円が相当である。
8 よって原告らは被告らに対し、各自右7の(1)ないし(6)の合計である請求の趣旨1記載の金員(付帯請求は、本件転落事故発生日から完済まで年五分の割合による遅延損害金)の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1のうち、原告らの長男亡敦(当時一一才)が、被告大野が経営する被告会社の工場建物の屋根のスレート板から転落して死亡したことは認めるが、その余は知らない。
2 同2のうち、本件工場建物等の配置が概ね別紙見取図のとおりであり、亡敦が原告ら主張の構造の建物部分、屋根部分を、その主張の経路により、転落したことを認める。
3 同3を否認する。(ハ)建物は昭和四二年、(ニ)建物は昭和四八年、(イ)、(ロ)各建物は昭和五三年にそれぞれ建築したものであり、(ハ)、(ニ)各建物の屋根は石綿スレートであって、その耐用年数は一五ないし二〇年である。従って(ニ)建物の屋根は、一定の衝撃に耐える強度を有し、人の歩行にも耐えるものであるところ、亡敦は、(ハ)建物の屋根を経て(ニ)建物の屋根から転落したものであるから、同人はD点付近で、とびはねて強く踏み抜く等の異常な行動をしたものと推定するほかなく、本件事故は亡敦の自損行為である。
4 同4前段のうち、本件工場群を被告大野が所有するとの点を否認し、その余を認める。本件工場群の所有者は被告大野である。
5 同5のうち、被告大野が、本件転落事故発生前、本件工場群のうち(イ)ないし(ハ)建物の屋根で、貴資や近所の子が上って遊んでいたことをみたことがある点を認め、その余を否認する。
6 同6、7の主張を争う。
二 抗弁
1 (過失相殺) 仮りに被告らに責任があるとしても、亡敦は、高さ約五mの高所で、約九〇cmの間隔のある(ヘ)建物から(イ)建物にとび移ったうえ、(イ)、(ロ)、(ハ)各建物を経、(ハ)建物よりもさらに高い(ニ)建物の屋根に上り、かつ、前記二の3の如き異常な行動をなしたものであるから、本件転落事故の発生には、同人の過失のほか、そもそも本件工場群の屋根に上って遊ぶような危険な行動からその子を抑止監督すべき親たる原告らの過失もある。
2 (債務免除の意思表示) また、昭和五四年六月上旬、原告らは被告らに対し、本件転落事故につき、金銭的損害賠償をせず、債務を免除する旨の意思表示をした。
四 抗弁に対する答弁
抗弁1を争い、同2を否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 原告らの長男亡敦(当時一一才)が、被告大野が経営する被告会社の工場建物の屋根のスレート板から転落して死亡したこと、本件工場建物等の配置が、概ね別紙見取図のとおりであること、亡敦が同図面中、点線表示の経路、すなわち、(ヘ)建物の二階への昇階段の立子が三本切れている所、A点から(イ)建物のトタン屋根上のB点に飛び移り、そこから(ロ)建物のトタン屋根、(ハ)建物のスレート屋根を経て、同建物と(ニ)建物との間にある樋、C点を伝って、(ニ)建物のスレート屋根に上り、D点で転落したことは、当事者間に争いがない。
二 被告らの責任の有無に関する判断に先だち、その前提事実ないし事情について、まず検討するのに、《証拠省略》を総合すると次のとおり認められる。
(1) 被告大野は、川口工業高校を卒業し、いわゆる鋳物屋に約一二年間勤めたのち、昭和四二年頃独立し、本件建物群の存立する敷地約三三〇坪を購入し(その登記は昭和四三年三月)、(ト)建物に住み、本件工場群の前身である建物を建築所有し、これを工場として軽合金鋳造業を営んでいたが、その後昭和四六年六月頃、被告会社を設立登記し、自己が代表取締役、その妻恵美子を取締役とする純然たる同族会社をなし、爾来今日に至るまで従業員約一一名を擁していること。
(2) 独立当初建築した建物は、その後、昭和四七、八年頃に(ニ)建物、昭和五三年頃に(イ)、(ロ)の各建物を増改築したが、なかには古材を用いたものもあること、(イ)、(ロ)の各建物の屋根はトタン葺であり、(ハ)ないし(ホ)の各建物の屋根は、石綿スレート小波板葺(セメント八五%と石綿一五%とを混和して合成したもので、その厚さは約六・三mm)であって、人の通常の歩行に耐える程度の荷重上の強度を有するものの、降雨時等には右強度は幾分減弱すべく、また経年性変化によって次第に透水性を失うとの性質を帯有し、要するに右石綿スレート小波板を用いた屋根では、相応に慎重な歩度等によらなければ、通常人としてはこの上を歩行等するのは、踏破等の危険のおそれがあること、(ニ)建物の屋根についても本件転落事故発生時まで六年余を閲していて前記経年性変化が生じ、また本件事故発生当日の午前中は小雨でもあったので、該屋根板はやや脆くなっていたこと。
(3) (イ)ないし(ホ)の各建物の庇は、いずれも少くとも地上から二m以上の高さにあり、屋根に昇るべき階段等の設備はないから、はしご、その他の登はん具を使用しなければ、いずれも屋根に上ることも相当困難であること、また右各建物の屋根高は不揃であり、就中、(ハ)建物の屋根と(ニ)建物の屋根とは少くとも一・五m以上の差があるから、前者から後者に昇り移るにも、ある工夫が必要であること、されば以上の建物のうち、最も低い(イ)建物(その高さは約三m)の屋根に上るには、(ヘ)建物の二階への昇り階段の踊場、またはその近傍に折柄切れていた立子三本分の部分(その箇所までの地上高は約二・八m)から、約九五cmの間隔を跳躍して飛び移る経路となるべく、亡敦、被告大野の次男貴資、その他近所の子供らが(イ)ないし(ハ)の各建物の屋根に上っていたのは、右のようなやり方によっていたもので、現に附近住民で、右子供らが右のようなやり方で相互移動し、または(イ)建物屋根に上ったのち、そこから飛び降りるのを現認していること、尤も右やり方も、両建物の間隔、地上高等から必ずしもたやすくはないこと。
(4) (ニ)建物の屋根は、傾斜度約一五度、D点から地上床までは約六mあり、地上床から屋根裏までの間には、数本の鉄棒梁が懸架されているにすぎないいわゆる吹抜き構造をなし、地上床はコンクリートの固い床であること。
(5) 亡敦も貴資も普通の健康体のいわゆる腕白子であって、これまで共に一〇回程度は、前記やり方で(ヘ)建物から(イ)建物屋根に上り、(イ)ないし(ハ)建物屋根で、路上から拾ってきた石を投げたり、石を野球バットで打ったり、ゴム製パチンコで弾いたり、時には互に追いかけまわす鬼ごっこ等の遊をしていたこと、そしていずれも近隣の人や被告会社の従業員らから屋根に上らないよう制止されたことがあること。
(6) 被告大野は、本件事故発生の約三週間前頃、その従業員から、子供らが(イ)、(ロ)の各建物屋根に上っているのを見て、その都度やめさせたことがあるとの報告を聞いており、自己自身も本件事故発生の一週間前の夕方、貴資と亡敦が右屋根上で遊んでいるのを見、叱ったところ、飛び降りたことがあったし、その経路、やり方は前記(3)のとおり推測し、また立子数本が切れていたことを知っていたが、屋根で遊ぶことの危険性については、高所からの転落の危険を想定していたにすぎないこと、大野恵美子も子供らが屋根に上って遊んでいることを知っていたこと、他方、原告直子は本件事故発生前、亡敦がしばしば本件工場群のうちの屋根に上って遊んでいることを附近住民から聞かされて知っており、時に亡敦に上らないよう叱ったこともあり、またこの事を原告正博に伝えたこともあったが、同原告は注意するように伝えたにすぎないこと。
《証拠判断省略》
三 以上の事実関係からすると、被告らにはそれぞれ原告が請求原因5、6で主張するような過失があったものというべきである。しかし亡敦及び原告らにも本件事故発生につき過失があったものとなすべく、しかもその割合は、概ね前者が一割、後者が九割程度と解するのが相当である。
四 次に損害額について検討するのに、《証拠省略》を総合すると、亡敦の本件転落事故死によって、原告らには、請求原因7の(1)で主張のような逸失利益一八八六万三一四〇円、亡敦の慰謝料二〇〇万円の損害を蒙り、原告らは同人の両親として右合計の各二分の一である一〇四三万一五七〇円及びその固有の慰謝料として各三〇〇万円の損害を蒙ったことが認められる。そして右証拠によると、原告正博は、請求原因7の(5)掲記の費目による葬祭関係費の出捐をなしたことが認められるものの、そのうち被告らに対し賠償性を有するのは、五〇万円とするのが相当である。
以上原告らの各損害額につき前記三記載の原告側の過失を斟酌すると、被告らに対しその賠償を求めうるのは、原告正博につき一四〇万円、原告直子につき一三四万円となるところ、《証拠省略》によると、請求原因7の(6)の事実が肯認されるので、叙上本件事案の性質、審理の経過、認容額その他諸般の事情によると、本件事故と相当因果関係にあり、被告らに対し賠償を求めうる弁護士費用なる損害額は各一三万円と解するのが相当である。
五 最後に抗弁2について考えるのに、かような確定的な請求権の処分ないし債務免除の事実を認めるにたりる証拠はない(被告大野(第二回)各本人の供述をもってしても、原告正博において葬儀の折、借りたガラスコップを返還に訪れた際「今後一切何もいわない」といったという程度にすぎない。)から、その主張は到底採用できない。
六 よって被告ら各自に対し、原告正博において一五三万円、原告直子において一四七万円及びこれらにつき本件事故発生の日である昭和五四年五月二七日から完済まで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める限度で、原告らの本訴請求は理由があり、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 薦田茂正)
<以下省略>